中津の歴史 

古代

現国道10号南側には条里制による条里地割の跡が現存しており、古代から中津平野の開発が行われていたことがわかります。
また長者屋敷跡と言われる下毛正倉が発掘されています。

中世

中津付近には中世の城跡も沢山の残っています。
城下町としての歴史は、1587年に黒田孝高が豊臣秀吉から豊前6郡(京都・築城・仲津・上毛・下毛・宇佐)の16万石を与えられた後に、
拠点を山国川河口部に移し中津城を築城したところから始まります。
市街地がほぼ完成したのは1600年代中頃の小笠原家の時代とされている。
城主は後に細川氏・小笠原氏を経て、1717年(享保2年)に奥平氏が入封し明治維新を迎えた。

近現代

維新後 明治4年4月(1870年)に中津県が成立した。
同年7月下毛郡と宇佐郡が小倉県となり、松の御殿(現中津神社の位置)が中津支丁となる。
中津支丁は上毛 下毛 宇佐郡を管轄する。
明治9年4月小倉県を廃止し 福岡県となる、この時点では中津は福岡県だった。
明治9年8月 下毛 宇佐郡が福岡県から大分県に移管される。
明治の初めには福沢諭吉や小幡の進める中津市学校が開校され高等教育が盛んになる。
中津市学校は慶応義塾と姉妹校で西日本有数の英学校だった。


中津の主な出来事 今永さんの写真集「中津」、南部100年史、中津市史 その他 より抜粋。

明治2年(1869)  中津 広津間に山国橋(舟橋)をかける。
明治4年(1870)7月 中津県が出来る、11月に小倉県が出来、下毛 宇佐小倉県に属す。
明治4年(1870)11月 三ノ丁東端に中津市学校創設
明治5年(1871) 学問のすすめ初版出版
明治9年(1876)1月 中津の4小学校(金谷 諸町 桜町 堀川)開校
           8月中津町 と下毛 宇佐郡が大分県に編入。
明治10年(1877)2月中津警察署発足。
            11月片端町の養成校の師範科を廃止、上等小学校創設 しかし翌11年大分師範学校に併合された。
明治11年(1878)11月 郡役所を金谷に置く。
明治12年(1879)11月 士族授産の生糸工場 末広会社が3の丁に出来る。
明治13年(1880)8月中津神社が公園地に鎮座。
           12月豊国丸(中津扇城会社)が、三田尻沖で火災沈没。
明治15(1882)年6月 公園地に蓬莱観劇場が出来る。
明治16年(1883)3月 中津市学校閉校?。
明治19年(1886)1月殿町の下毛郡役所が新築。
明治20年(1887)4月 中津高等小学校 片端町に開校。
明治22年(1889)4月 町村制実施。
            7月中津銀行設立。
            7月山国川洪水 北門付近が埋まり、本流が現在の山国川(広津側)に変わる。
明治23年(1890)10月 中津町役場京町から3ノ丁に移る。
明治27年(1894)4月 中津中学開校 高畑に新築。
明治29年(1896)4月 小祝を福岡県から中津側に編入。上毛郡が築上郡になる。
            7月豊中製糸が操業を始める。
            10月 中津税務署(殿町)を置く。中津警察署の庁舎3ノ丁に新築。
明治30年(1897) 9月 中津停車場の開業。
明治31年(1898) 6月 中津紡績創立、後の鐘紡の工場。
明治33年(1900) 扇城高女 3ノ丁に創立。

明治34年(1901) 10月 山国橋(木橋)が出来る。
明治37年(1904) 公園地に独立自尊の碑が出来る。
明治39年(1906) 殿町 メソジスト教会落成。
明治42年(1909) 11月 小幡記念中津図書館の開館。
明治43年(1910) 2ノ丁に中津連隊司令部ができる。
明治44年(1911) 3月中津に電話が開通、下毛郡立高等女学校が片端町の高等小学校跡に開校。
             5月 豊後町の大火。
大正2年(1913)   4月豊前銀行発足(下毛実業銀行のあと)
             12月耶馬溪鉄道の開通式(中津 樋田間)
大正3年(1914)   下毛郡立高等女学校が2ノ丁に新築移転。
              2月 宇島鉄道の開通。
              12月 耶馬渓鉄道の樋田 柿坂間開通。
大正4年(1915)   4月下毛郡立高等女学校は大分県立中津高等女学校となる。
大正5年(1916)   7月 町立商業学校開校、片端町(中津高等小学校 中津高女の跡地を利用したもの) 
大正6年(1917) 4月大分監獄出張所が北門より、2ノ丁に移転。中津商業銀行の発足。
大正7年(1918)5月 日本鉱泉(横綱サイダー)が上宮永にできる。
           7月 中津絹糸紡績の創立(後の富士紡)。
大正8年(1919) 3月 中津連隊区司令部廃止。
大正9年(1920) 3月下毛銀行(殿町)設立。
            4月中津農業倉庫が中殿に出来る。
            11月 中津平野で陸軍特別大演習。皇太子殿下中津高女にご宿泊、南部小が司令部。
大正10年(1921)12月富士紡中津工場発足(絹紡と合併)。
大正11年(1922)9月扇城高女 中殿町に新築移転。
大正12年(1923)2月京町に中津信用組合ができる。
            3月 中津郵便局 古博多町に新築移転(京町から)。
大正13年(1924)2月下毛郡役所が片端町に新築移転。
             6月耶馬渓鉄道の柿坂 守実間が開通。
            10月大貞競馬始まる。
大正14年(1925)4月 中津町と豊田村 大江村合併。
大正15年(1926)6月 下毛郡役所の廃止、建物は2階増築し市役所となる。
            11月 中津上水道の起工式。
昭和2年(1927)6月中津公会堂の落成(磯村豊太郎寄付)。
昭和3年(1928)中津銀行が下毛銀行を合併。
           4月中津上水道 通水式。
昭和4年(1929)小楠村が中津町に合併、人口31700。
           4月中津市の誕生。
           6月初代市長佐藤寅二。
昭和5年(1930)5月中津市の市章ができる。
           6月昭和信用組合の設立。
昭和6年(1931)4月二代目市長 中里真清。
           7月 八面山 大池の決壊。
           12月 豊国相互無尽会社設立。
昭和7年(1932)6月 中津大火 中津商業の新築現場から出火、250戸焼ける。
昭和8年(1933)4月 中津市役所が3ノ丁から片端町の郡役所跡を増改築して移転。
               中津商工会議所発足。
昭和9年(1934) 2月 山国橋(国道橋)がコンクリート橋になり竣工式。
            3月 3代目市長 竹岡吉太郎
昭和10年(1935)3月松竹館が船町から仲町に移る。
昭和11年(1936)5月 三口の恒久橋が竣工 久恒貞雄寄付。
昭和12年(1937) 5月殿町に中津商工会議所新築落成。小幡英之助の銅像が公園地に建つ。
             (12月 映画館 太師館が出来る、昭和23年2月閉鎖。)
昭和13年(1938) 3月 市長 竹岡吉太郎(再選)
            10月 中津電話分室 新築(天神町)。
昭和14年(1939)11月 柳ヶ浦に宇佐航空隊が出来る。
昭和15年(1940)11月中津築港工事完成(埋め立ては5月)
昭和16年(1941)10月中津武徳殿(錬心館)竣工大西家寄付
昭和17年(1942) 6月武田化成吉富工場操業。
昭和18年(1942)8月 鶴居 大幡 如水の3村が中津と合併 42,000。
            11月耶馬溪羅漢寺本堂火災。
昭和19年(1944)9月 神戸製鋼が大貞に出来る。山国川の洪水、市内家屋床上浸水多し。
昭和20年(1945)2月 三機工業 中津工場東浜に出来る。
            5月7日朝 八面山 上空でB29撃墜。
            7月新博多町 他 合計700戸強制疎開。 
            8月 終戦。
昭和21年(1946)11月 中津カトリック教会(三ノ丁)の火事(養成院 現在空き地)
            12月 吉富製薬の発足(武田化成から)
昭和22年(1947) 3月 中津競馬(大貞)再建
             7月 清浄園が宮永に出来る、36年9月大貞に移転。
昭和23年(1948)
昭和24年(1949) 5月 中津市制20周年。
             6月 天皇陛下中津巡幸 耶馬溪へ
昭和25年(1950) 3月 中津駅前 耶馬溪クラブ 火事
             7月 耶馬 日田 英彦山国定公園の発足
            11月 中津球場完成、当時 城南中学生だった我々は「もっこ」担ぎでお手伝いした。
昭和26年(1951) 神戸製鋼跡地に中津鋼板創立、ドンボスコ学園も出来る(三ノ丁から)
            4月 三保村が中津市に合併
            10月 ルーズ台風
昭和27年(1952) 2月 中津信用組合が中津信用金庫になる。
             5月 昭和信用組合が昭和信用金庫になる。
            10月 中津鋼板会社の開業。
昭和28年(1953) 1月 大分合同銀行が大分銀行になる。
             10月 豊州鉄道(豊前善光寺〜円座)廃止。
             10月 ラジオ大分放送開始(TVは34年10月)
昭和29年(1954) 3月 三光村発足
             5月 豊後高田市誕生
            10月 和田村が中津市に合併
昭和30年(1955) 2月 今津村が中津にに合併
             3月 10号線(新国道 中津南高の前の道路)の起工式
昭和31年(1956) 9月 中津市営ガスの火入れ式 12月一期工事完工
昭和32年(1957) 11月 大相撲九州本場所が始まる 大分県出身玉乃海 全勝優勝
昭和33年(1958) 2月 日出町の火事 10戸
             4月 山国町誕生
             10月 福沢通りの舗装工事完成 新博多町のアーケード完成
昭和34年(1959) 8月 NHK大分放送局 TV放送開始
             10月 OBS 大分TV放送開始。
             11月 本耶馬渓村誕生
昭和35年(1960) 田尻の中津港 工事始まる
             3月 中津警察署 新築移転(中央町)。
             10月 院内町誕生
昭和36年(1961) 4月 中津南高火事
             10月 大分製紙豊前工場(三毛門 郡是製糸の跡)開業
昭和37年(1962)
昭和38年(1963)
昭和39年(1964)
昭和40年(1965)

中津市の歴史

明治29年 夏  福岡県から小祝村を旧中津町に合併
なお小祝は上毛郡(現築上郡=上毛郡+築城郡)に属していた。

以下は中津市のホームぺージによる。
大正14年 4月 旧中津町に旧大江村、旧豊田村合併
昭和 4年 4月 旧中津町に旧小楠村を合併し、中津市政を布く
昭和18年 8月 中津市に旧鶴居村旧大幡村、旧如水村合併
昭和26年 4月 中津市に旧三保村合併
昭和29年10月 中津市に旧和田村合併
昭和30年 2月 中津市に旧今津町合併

下毛郡誌による当時の下毛郡(中津町付近)地図
下毛郡誌(昭和2年発行)による
当時の下毛郡(中津町付近)地図


明治17年頃の中津町の町名
(中津市史による)
京町 上博多町 江三竹町 古金谷町 米町 姫路町 殿町 諸町 新魚町 古博多町 古魚町 船町 塩町
枝町 片端町 新博多町 角木新町 留守居町 豊後町 仲間町 角木町 船頭町 袋町 北浦町
鷹匠町 浦町 弓町 寺町 北堀川町 水主町 桜町 餌差町 南堀川町 金谷上ノ丁 金谷中ノ丁 
金谷森ノ丁 金谷南ノ丁 金谷森ノ裏丁 高畑中ノ丁 高畑上ノ丁 高畑下ノ丁 高畑本丁 高畑西ノ丁
本丁 西ノ丁 三ノ丁 二ノ丁 焔硝蔵 東堀端 西堀端 南稲堀 北稲堀 新堀 
外馬場 市場 矢場 船場 北新地 南新地 小堀 山ノ下 北門通 鷹部屋 金谷村 萱津村 下小路浦


奥平時代の中津城下町地図
奥平時代の中津城下町地図
中津市史による。

中津城地図


江戸時代以前の中津地図。

上小路と書かれたところは金谷とも言われますが、地形的には現在の中津南高の付近と想像されます。

中小路が現在の城下町中心部(京町 博多町 諸町 新魚町他)、下小路が現在の下小路とその周辺と考えると地形的に理解しやすいです。
渡し場と書かれたところは地形的に大江八幡と中津南高の間と考えると地理的に納得できます。


この地図は上が(西)南です。
現代の地図と書き方が違いますから注意してください。


昭和36年頃の中津南高大江八幡の間の古写真

右手前に大江八幡神社がある。
手前の川は昔の大家川の名残です。
細川三斎公が金谷に土手を築いて、大家川を塞ぎ この部分が陸地になった。
この部分に現在の山国川が流れていたそうです。
現在では家が建てこんでいますが、通学していた昭和30年ころは蓮池などの沼地でした。
画像の校舎は36年4月末に火災で焼失しています、それ以前の撮影です。





黒田如水の中津城 縄張り図



江戸時代から明治初期の地形図(黒瀬家保管)

祇園祭りなのか 用途不明です。
祇園祭りにしては枝町(江戸町)や東西の堀端を通っているのが不思議。




中津町上水道配管図
中津町上水道配管図





下記 昭和4年の市庁舎の跡地は 現在錬心舘(武徳殿)として使われています。
自分が中学生のころはこの位置に城南中学がありました。
昭和8年の市庁舎の跡は小幡記念中津図書館になっています。



24年の天皇巡幸の写真で、当時残っていた大鳥居の東側の石垣が見える。
この後 取り払い城南中学の校舎を建設した。





参考資料
下毛郡誌
中津市史
中津町上水道誌
中津市のホームページ

 



2002年9月28日
2002年10月1日
2005年7月8日

2007年7月17日
2009年7月15日 移転
2010年12月19日 追記
2011年11月6日:2,274 大幅に更新しました。

2013年3月23日:4,542 中津市報1999年6月15日号を追加。




 2009年7月15日よりカウント

























e