沖代(中津)平野の条里制 中津市永添

奈良時代には沖代平野に古代官道が作られて平野部には条理制に基づいた水田が約800町歩整備された。
さらに丘陵付近には相原廃寺が建立され 条理には山国川本流に三口大堰をかけた そこから水を
引いたと考えられ大量の米が生産された その納米を納めるために西日本最大規模の下毛正倉〔長者屋敷遺跡〕がつくられた。 


写真@ ここは鶴居地区の中津霊園の入り口です 
中津の沖代条理跡がよく見える場所との事で初めてここに来ました。 



すへて田畑です 建築は制度により禁止されているようです。
しかし 中津胃腸病院  D&Dスーバー大栄 そして一部の民家は政治的 例外? 。
写真の遠景の山は福岡県オグマ ヒグマ です。
古代の条理制がまだこの中津でも生きているのには感心しました。




 ここは平地から高台になります 墓は遠くから見えます
 すなわち北方向は海岸になります 建物は中津胃腸病院。
 その先は錆矢堂の坂になります。     
 
2009年5月7日

 

このページは黒瀬さんからの写真と情報を元に作りました。