中津南高等学校(旧中津中学 旧中津一高 旧中津西高)

中津南高の歴史では明治26年に私立中学として中津市学校の跡地(現中津市立南部小学校)で創立。
翌年には大分県立の中津中学(大分中学の分校)となり、この地 高畑に新築移転。
ただ歴史には多少猪突な印象がある。
恐らく片端町の進脩館の後身の学校から発展したものと思われるが、文献が見つからない。

中津南高
中津南高 南校舎。

同じ構造の建物が2棟あった。
北側の校舎は36年の連休中に火災があり消失。
火災は就職した年だが、たまたま帰省していて、図書館の本の運び出しを手伝った。
廊下を一瞬にして、火が走る現象(フラッシュオーバーと言うらしい)がおきたらしい。

昔の面影は全く無い。


校庭の拡張時、遺跡があり、貴重なものが出たそうだ。


出土品は中津歴史民俗資料館に展示してある。

中津南高
正門。
昔と全く雰囲気が変わりました。


中津南高のホームページ

中津南 関東同窓会のホームページ。

中津南高
昔の講堂の位置に正門が作られています。


平成20年4月7日撮影




中津南高
2代目のユーカリの木。
昭和36年の火災で焼けた後、永松先生が2代目を寄付されたそうですが、
こんなに大きくなったようです。
平成18年7月撮影。
昔の面影は全くありません、よその学校に来た感じです。

中津南高
体育館では県内の高校生が試合をやっていました。
実は内部は初めて見ました。
昔の体育館に比べ、天井は低いが、広くなった感じです。
平成18年7月撮影

中津南高
昭和30年代前半の写真。
36年に火災にあった北側の校舎が写っている。
右手前が講堂。
自分は中津南高に校名変更した年の入学生で(高校8回生)、この道を通学しました。

大江八幡宮
横の道路より撮影。
手前の川は蛭川。
この川は城下町の東側に沿って流れていた。
宝蓮坊の裏側を流れ、夢タウンの近くで大きく湾曲している。
撮影場所から先は少し低くなっているが、昔の大家川の跡と思われます。
細川忠興が金谷の堤(どて)を築いて、本流を現在の中津川(中津城の横を流れる)に変更した。

この写真ではすでに埋め立てられていますが、自分の高校生時代はこのあたりは蓮田だった。
蛙が沢山いました、秋になると鳴き声が数百m離れた実家まで聞こえてくるくらい凄かった。

橋の向うの道を右側に行くと金谷方向に出る。

撮影場所の位置は地図でどうぞ


平成17年7月撮影の同じ場所。
校舎は見えない。
元蓮田だった部分に住宅が。

中津名産 和傘 中津の名産だった和傘の復活。

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2005年8月3日

2008年4月12日



2009年7月15日:移転



 2009年7月15日よりカウント