本校は明治44年4月 中津高等小学校の跡地に下毛郡立高等女学校として創立しました。
大正3年4月に新校舎落成 旧城内 2の丸、下記画像参照。
大正4年1月大分県立中津高等女学校と改称。
校舎落成時の写真。
昭和30年代前半に自分が撮影したものです。
手前の堀は薬研掘。
中津城の石段の上から撮影。
中津北高 公式ホームページ。
中津北高等学校同窓会ホームページ。
最初 建物を見た時は、大学かと思った。
随分しゃれた建物だ。
弟2人はこちらに入学した。
当時は南北合同選抜 抽選振り分けだった。
但し上の弟の時は入学時は二ノ丁の校舎だった。
創立100周年 おめでとう御座います。
学校の歴史
1911年 現在の市立小幡記念図書館の位置で創立、その後中津城内2の丸に新校舎建設。
昭和34年現在地に移転した。
中津北高 創立100周年(大分合同新聞記事より 2011年11月06日) 中津北高校(中尾義且校長、630人)の創立100周年記念式典が5日、中津市中央町の同校であった。生徒はもちろん、市内外からOB、歴代校長ら関係者が訪れ、節目の年を祝った。 約800人が出席。中尾校長が「記念すべき年を迎えた。在校生はさらに発展できるよう、志を高く持ってほしい」と式辞。松田順子県教委教育委員、内尾伸行100周年記念実行委員長、吉武隆善PTA会長があいさつ。広瀬勝貞県知事、志村学県議会議長が祝辞を述べた後、浪井梓紗生徒会長が、本年度の生徒会活動を振り返りながら、「学校を誇らしく思う機会をありがたく思う。日々の生活を通じ、自身を変え、未来を創造していきたい」とあいさつした。 放送部制作の同校の歩みを振り返るDVD上映、書道部と吹奏楽部によるコラボレーション披露の後、記念講演会。Vリーグ・サントリーサンバーズの河野克巳GM(同校36回生)が「北高生よ大海を渡る風となれ」と題し、自らの歩みを振り返りながら、「目標、夢を持ち(かなえるために)続ける努力を」と呼び掛けた。 同校は1911年、下毛郡立高等女学校として創立。その後、県立の中津高等女学校、中津第一高、中津西高を経て、53年から現校名。卒業生は約2万3千人。 |
中津北高校の校章は、昭和23年に中津第一高等学校が誕生した際、
前身の旧中津中学校の「旭光」と旧高等女学校の「なでしこ」を組み合わせたものとして作られました。
その後、昭和28年に中津北・中津南に分離する際、校章は中津北高校が引き継ぎました。
校歌は中津南が引き継ぎました。
昭和28年は自分が中津南に入学した年で、校歌より この校章の方が良いと羨ましかったものです。
28年の入試は独立に行いましたが、あまりに男女の数に違いが出たので、翌年からまた共同選抜に戻り、
10年くらいは続いたと思います。
弟 2人は抽選で中津北に入りました。
左が旧中津高等女学校の校章、右が旧中津中学校の校章。
中津北高等学校同窓会ホームページ。
2006年1月25日 写真追加。
ご意見ご希望は城下町中津の掲示板にどうぞ
2009年7月15日:移転
2011年11月6日:更新
2009年7月15日よりカウント