なお竜王町との境の外堀には橋がかけられていて、
一番橋 二番橋 三番橋が存在した。
現在堀も狭くなり、特に三番橋付近の堀は埋め立てられて橋そのものは存在しない。
@ 一番橋
A 二番橋
B 三番橋
A 小倉口
B 広津口(渡守口)
C 金谷口
D 島田口
E 蛎瀬口
F 大塚口
空色の部分は堀や川。
中津市の公式ホームページに中津城下町 町名 木戸口説明が新しく掲載されています。
城下町の町名、木戸口の説明があります、ご覧ください。
蛎瀬口
蛎瀬口付近と思われます、交差点付近の写真もご覧ください。
後方の家並みは豊後町(城下町内)。
なお左前方の民家は江戸時代の建物だそうです。
最近解体されたそうで大分県建築士会中津支部のホームページに調査報告があります。
江戸時代から明治にかけて、この道路が大分に通じる幹線だった。
したがって商家が多かった。
なお豊後町の名前も大友家(大分)の家臣が移り住んだ為とも云われています。
この部分 昔の堀の跡と思われます。
写真右側が中津城下町(豊後町)になる。
livedoor地図
大塚口
左 中津商業高校。
写真奥が蛎瀬口、
手前側が大塚口方向になる。
この道路が城下町と近郊の境界線、写真右側が城下町。
なお中津商業高校の前身、中津商業は現中津市立小幡記念図書館の位置で創立された。
一番橋
闇無浜神社方向から城下町(船場町)を望む。
この橋は江戸時代から石橋(太鼓橋)だったそうです。
一番橋 livedoor地図
一番橋から西側を望む。
一番橋から東側(二番橋方向)を望む。
二番橋
三番橋跡
橋はありません、この部分堀跡は埋め立てられています。
livedoor地図
大部分の写真は黒瀬 戦一さん提供です。
江戸時代の地図は片端町吉本さん保管のもの。
「城下町中津」は黒瀬さんの協力を戴き内尾の責任で作成しています。
ご意見ご希望は城下町中津の掲示板にどうぞ
2006年2月6日
2011年1月1日:リンク修正
2009年7月14日よりカウント