中津の街並み

ご意見ご希望は城下町中津の掲示板にどうぞ

城下町・中津 観光案内看板
観光案内用としてよく出来ているので 写真で紹介します。




下記は2011年11月23日の行事で配布されたパンフレット(中津市教育委員会作成)です。


@〜Hの説明についてはこちらのページをご覧ください。



なお下記の表示のうち 島田口からの道路 江三竹町は間違いです。
この部分は上博多町または出小屋と呼ばれていたはずです。
江戸時代には (60)江三竹町はありません、この部分は外堀です。
更に61は60の位置にあるはずです。

なお町名表示は国(不動産登記簿)では厳然と存在しています、市民も普通に使っていますが、
市の住居表示では存在していません、旧城下町部分は番地のみです。

例えば
住居表示:厳密には中津市1444番地 (普通には 郵便物は中津市京町1444番と表示)
不動産登記:中津市字京町1444番地 (字京町が無いと無効)


中津市京町
前方突き当たりに旧市役所がありました。
現在は小幡記念図書館。
この通りは昭和20年代終わり頃に作られました。
(手前の広場は駐車場で、道路ではありません)



昭和37年5月。
旧市役所が見える、その右側は公会堂。
(現 小幡記念図書館)



宝蓮坊

中津市 寺町 宝蓮坊
大修理後の宝蓮坊。
1年以上かけた大修理でした。
左側に安随寺が有ります。

安髄寺

中津市 寺町 安髄寺
宝蓮坊の境内にあります、東本願寺系のお寺です。

中津市 寺町
寺町どおり
石畳の舗装になり、綺麗になりました。

中津市 寺町 赤壁 合元寺
赤壁 合元寺前も変りました。

中津市 寺町 大法寺


中津市 寺町 大法寺


中津市 寺町


中津市 寺町 



閻魔様
子供の頃は怖かった。

中津市 寺町 

中津市桜町 善教寺
中津市 桜町 善教寺

同級生が住職です。


中津桜町 善教寺 浄土真宗本願寺派

松巌寺
中津市 松厳寺


新博多町商店街

中津市 新博多町商店街
新博多町商店街(平成14年7月)

中津城下町の最大の入口であった島田口
写真の右後方近くにあったと思われます。
手前 左側2軒目が我が家の店跡です。
この当時は日の出町や駅ビルの店を残して、こちらは閉店していました。

2011年8月28日 追加

27日夜10時過ぎ火災発生 8時間くらい延焼したそうです。
我が家の旧店舗(現在空き家)も類焼しました、残念。



黒瀬さんに撮影していただきました。
手前から2軒目です。
http://youtu.be/npTE7JLdX5k



2006年7月28日撮影
手前は隣のWAKABAのビルです。
2階建て部分は昔 明屋書店だった建物です。
後方の5階建て部分はいつ増築したか不明です。





平成24年3月撮影
内尾 靴店跡 アケード側からの撮影、ビルと 背後の長屋を取り壊しました。



反対側 勢溜側(長屋側)からの撮影
この長屋は明治44年に登記されていますので、当時の建物だったようです。
この部分は弟が父から相続しました。




平成24年7月撮影

ついに隣のWAKABAのビルも取り壊すようです。
黒瀬さんの撮影です。
新博多町アーケードから。


勢溜側からの撮影、昔ビルの この位置には向野先輩の実家がありました。
その後WAKABAのビルが出来ていました。





中津市 新博多町商店街新博多町商店街(南から北方向、向うは国道筋)
昭和6年頃(今永さんの写真集から)
右 菊屋文具店
左 丸吉

撮影場所の地図


昭和30年代初めころの 勢溜付近 住宅地図




中津市 旧中津北高校舎
昭和33年頃の中津北高

校舎の場所livedoor地図

中津市 中津南高 旧校舎
昭和36年の中津南高

中津市 中津南高 旧校舎昭和36年頃の中津南高
(前方に校舎の一部が見える)
これが通学路でした。
川の左右には蓮田が広がり、
蛙が沢山いました。
手前右後方が大江神社。

撮影場所の位置livedoor地図


中津市 中津南高校舎
昭和36年4月の火災で焼失した校舎を建設中。

昭和37年5月。




中津市 中津南高
中津南高
昔の面影はありません。



福沢諭吉旧宅跡

この位置が本来の福沢家の屋敷。

現在残っている福沢旧居は母の実家。



福沢旧居前の道路。
江戸時代はこの様な狭い道路だったようだ。
左 旧宅跡 右旧居(土蔵がある住宅)
旧宅の写真はラジオ工房「城下町中津」をご覧ください。

写真





中津城 天守閣
中津城
左側が細川 右側(約1/4)が黒田藩時代の石垣と言われる。

中津城 天守閣


中津城 黒門跡
中津城黒門跡。
正面は裁判所。


livedoor地図


中津城 水門跡中津城水門跡
向こうは汐湯。

livedoor地図

中津城 水門跡
昭和38年撮影。
汐湯方向からの撮影か。




中津城石垣跡の発掘調査。
この上には創立間もない城南中学校があった。
どうも不法建築だったらしい。


中津 御水道
中津の水道の歴史は古く、日本中でも古い方に入る。

中津城下町 水道口
水道口

ここを通って中津御水道が城下町に入ったらしい。
livedoor地図



九州最古の近代水道はここから城下町に供給された。
「水道口温泉」にその名をとどめている。

江戸時代城下町に立ち寄らない旅人は広津の渡し、西堀端 東堀端を通り、
この道から大分方面に向かったと思われます。

写真の後方が上博多町(江戸時代は出小屋)になる。
 

水道口に至る 水路。


水路の上流部分。
建物は豊田小学校です。


中津 御水道の取り入れ口。
三口。
背景の山は八面山。


中津城 三斎池
中津 御水道の終点。細川三斎の名前から名づけられた。
小笠原時代に 城下町にも給水されるように改修された。




中津歴史民俗資料館に展示されている中津御水道の発掘品。


中津市のホームページ御水道をご覧ください。

上記より詳細な説明が下記にあります。
PDF中津御水道(中津市のホームページ内)。


掘り出された石樋

中津歴史民俗資料館に展示してある、御水道の図。
中津市のホームページにある、図と異なる部分があります。
どちらが正しいか不明です。





中津城下町 新魚町
新魚町 突き当たりは自性寺。
この付近は江戸時代武家地です。


自性寺

奥平家の菩提寺。

中津市役所
中津市役所付近。
元鐘紡の中津工場跡。

宇佐屋の辻
livedoor地図

宇佐屋の辻
宇佐屋の辻。
下の写真祇園車の位置は
丁度大きな建物(宇佐屋)を壊した場所に相当。
写真右の商店の位置は大分銀行が建つ。
記憶ではラジオ屋さんと恩塚帽子店がありました。
(道路が拡幅されているので、厳密にはもう少し奥)

ここまでが城下町です。
後方は蛭子川を越えると島田。

livedoor地図

宇佐屋の辻


はすみ亭裏の蛭子川

中津城の外堀の役目をしていた大家川(蛭子川)もこんなに細くなりました。
昭和の初め外側(写真右側)は蓮田だったそうです。
この蓮田が良く見える場所に料亭が作られました。
蓮見亭です。
現在は大樹ビルになっています。
大正時代の蓮見亭の写真はここにの島田神社の後方。

ここまでが城下町。
戦時中にはこの左側に小町湯と言う銭湯があり、
祖母に連れられて毎日のように行きました。
川幅はもう少し広かったと思います。
大分銀行の裏手にあたります。

livedoor地図

中津市 島田神社
島田神社
道路拡張工事中。
右側には池がありました。
左側には神楽殿がありました。
戦後早い時期に池は埋めたてられてお店が出来ました。
もともとはこの敷地の大部分は堀跡のようです。
江戸時代の島田神社は社務所付近から、少し中津駅寄りに鎮座していたようです。
現在は知りませんが、戦前には神社所有の貸家が当時の国道沿いに存在したようです。
この写真の傘屋など。



平成19年4月4日撮影。

本殿を含め 敷地の大部分は元の外堀跡。
内尾駐車場


新博多町交流センターの前です。
中津市京町1444番地。
横の道路は(昭和35年頃までの国道10号線)現県道中津・吉冨線です。
昭和20年代まではこの付近から道幅が更に狭くなっていました。
2度にわたって拡幅されました。
看板のある位置が昔の山田洋品店の跡地の残りです(看板部分は1443番地)。
この付近(京町 新博多町)は中津城下町で最も標高が高いと言われています。
福岡銀行中津支店前に比べると数十cm位違います。


我が家の貸し駐車場。
舗装されています、4レーンあります。
現在1レーンが空いています(5,000円/月)、2〜3台駐車可。
ご希望は下記にお願いします。
つかさ不動産(電話0979-22-564か下記管理人へメールください。

メール





旧 竹内旅館
南部小学校の東南角にあるこの3階建ての旅館を記憶にある方も多いでしょう。
最近 「旅館 伸栄」と言う名前で営業しています。
戦後60年くらいは「竹内旅館」でした。
竹内旅館には同級生がいました、
昭和20年7月までは「旅館 丸梅」として中津駅前で営業していて、
強制疎開後ここに移転したのだと思われます。

3階建ての建物は珍しいので、何時頃 何のために建てたのか不思議でしたが、
平成18年10月帰省時 古い写真を発見。
明治時代 「西津田屋 旅館」として建築されたようです。


平成18年10月21日撮影。
片端町側から魚の辻(京町)方向を見る。
この突き当たりは宝蓮坊になる。


旧 竹内旅館
旅館 西津田屋と書かれている。
「目で見る 中津 宇佐 豊後高田の100年」より。

上の写真と比べても原状を保っている事が判る。
南部小学校の校地には簡単な柵が有る。
恐らく 南部小学校が現校地に移転した時代の写真と思われます。
(明治末〜大正初期)

昭和20年頃はこの付近はコンクリート製の「万年壁」があり、周りには堀の名残の溝が有った。
溝の部分は現在蓋がされ、暗渠になっている。
当時はこの写真の石垣(小さな石の)が塀の土台として残っていて、蟹が沢山いた。




昭和37年5月。
当時の国道10号線 現 県道108号。
新博多町の交差点付近から国道橋方向を望む。
右側の建物は三津屋(現在は建て替えて、新博多町交流センター)。
その向こう隣2軒目が我が家です、電柱の位置が新博多町と京町の境界です。。
現在は道路が拡幅されています。
車の右側に家がはみ出していますが、ここから道路が狭くなっていました。

はみ出した家の残存部分が現在我が家の駐車場の看板の位置になります(残り80cm)。

山国川を渡る 蒸気機関車 C5554山国川を渡る蒸気機関車C5554。
手前が大分県側。
当時は単線でした。


自性寺のすぐ近くに「喫茶店 ぐるーびい」があります。
昔の武家屋敷町に珍しい喫茶店。

前方の大屋根は自性寺。


喫茶店 ぐるーびい

美味しいコヒーの他に食事も出来ます。


ぐるーびいの裏側はテニスコートになっています。

昔は家が建っていたと思うのですが、、
何時テニスコートが出来たのか不明です。
誰が管理しているのかもわかりません。

お囲い山(日豊線高架側)から見たテニスコート。
自性寺の本堂も見える。

お囲い山もこの付近で一旦途切れる。

撮影場所から自性寺までの100m程度 お囲い山は南側に少しはみ出す形で作られていたので、
日豊線建設時 線路の敷地になったものと思われます。 


平成19年4月5日撮影
諸町

















特急 富士号 中津駅で。
何時もは航空機からの写真を楽しみに福岡空港から帰るのですが、昨年10月は曇りで駄目でした。
それが理由ではないのですが、目先を変えてみました。



特急 富士の車中から撮影(2007年4月6日)。
久しぶりに富士で帰省しました、富士山は奇麗でした。

平成19年4月5日撮影

平成19年4月6日撮影
寝台特急 富士号から。

東京 中津往復34,100円でした(ジパング倶楽部割引きで)。



2002年10月26日更新
2002年10月28日
2006年8月21日地図情報を追加。

2007年4月7日 :1057 中津観光看板やぐるーびいを追加(自性寺と同じ画像)。

2007年4月11日
2007年5月23日

2009年7月14日:移転
2010年12月17日:駐車場を追加。
2011年8月28日:1,461 火事の写真を追加。
2011年11月24日
2012年7月7日:2,534 新博多町の火災跡地の処理を追加。

 2009年7月14日よりカウント

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