宇島祇園

黒瀬さんのお祭り情報

毎年 5月3日から5日にかけて宇島祇園がありました。〔平成18年5月に撮影した写真です〕


宇島神社は海岸近くにあります。神社境内は道路より数段高い為、6台の祇園車は下の道路に集結してから 踊りを披露してから町内へ出て行きました。
その夜はお旅所の堂山神社に集まる様です。
5日の夕刻此処に戻り踊りを披露してから解散しました。

宇島祇園のおこり 〔豊前市指定無形民俗文化財・宇島祇園私設応援サイトhttp://unoshimagion.web.infoseek.co.jp/より転載〕

《宇島は、文政4年藩政のために上毛郡赤熊海岸地先である鵜の洲に新しい港を築港するために現在の中津市小祝地区からの住民が主に移住して出来た町です。
文政8年(1825)六月五日小倉藩主小笠原忠固公は御座船天祥丸にて、海路江戸表へ参勤交代の途上新港見分のため宇島沖に差し掛かった時に大時化に遭いあわや遭難というところに、宇島亀町、寶莱町の漁民たちが十艘の漁船に便乗して沖に漕ぎ出し無事、宇島港まで曳航して藩公を迎えました。 藩侯は大変喜び奉迎船や漁民たちにたくさんの褒美を賜りました。
また、寶莱町には記念のため天祥丸のお墨付きと三階菱の紋章が許されました。同時に宇島住民より藩侯初お目見えの行事を行ないたいとの申し出も許されました。
滞在、三日目の七日早朝歓呼の中、十艘の漁船が護衛し一同舟歌を連呼しつつ沖合いまで奉送しました。以来、六月五、六、七の日を藩主新港見分の記念日と定め、武運長久祈念祭が毎年の行事になりました。正式な祇園車の出し始めは文政9年(1826)からで、殿様祭りとも祇園祭とも呼ばれました。のちに喧嘩祭りとも称されるほどの賑わいとなり、小倉表より毎年数十人の役人が出張するほどでした。
後に宇島築港の功労者である郡代杉生十ェ門貞則を守護神とする宇島神社春季大祭として、毎年五月の三、四、五の三日間行なわれるようになりました。
最盛期には十二輌を数えた祇園車とよばれる山車は現在、御座船天祥丸と踊り車五輌の六輌です。
また、平成十七年度に豊前市無形民俗文化財に指定されました。》

● 蓬莱町の祇園車〔天祥丸〕は御船車で平成17年度には、中津祇園に特別参加して話題になった祇園車です。
総ケヤキ材の白木造り二階立て御座船天祥丸の模船を載せた御舟車です。   
さらに歌い子とよばれる烏帽子、水干を着用した稚児たちを乗せて巡行します。
それぞれの町辻では 音頭取りのお年寄りと歌い子達によって御舟歌が披露されます

● 魚町の祇園車は中津祇園の古魚町から譲りうけて現在も活躍しています。












本ページは黒瀬さんの撮影

2007年5月7日







 2009年7月15日よりカウント