中津 和傘工房 朱夏(しゅか)

中津は良質の竹に恵まれ、江戸時代から団扇や傘造りが盛んでした。
小学校の同級生に竹下の3倍傘とか山田の傘など有名なお店の子供がいました。
(また古博多町の団扇屋さんの子供も同級生です。)
つい最近まで千歳屋さんと言うお店があったのですが、廃業されてしまいました。
これを惜しんで 中津和傘の復興を立ち上げたグループがあります。
サラリーマンを卒業して、故郷に帰ってきた方が多いようです。
「城下町中津」の管理人(内尾)と和傘工房とは直接の利害関係ありませんが、是非成功してほしいです。

新しい工房は中津駅から海側(北側)に真っ直ぐ歩いて500mくらいです。具体的な場所はLivedoor地図をご覧ください。
和傘の注文も受け付けています、また和傘(ランプ)シェードもあります。

問い合わせ先  0979-23-1820
営業時間    朝10時〜17時頃
定休日      毎週月曜日(祭日の場合火曜日)

値段 番傘   10,000円
    蛇の目  13,000円など、詳細はお問い合わせください。

メールアドレス(迷惑メール防止の為下記は画像です、お手数ですが手入力願います)


ホームページ 中津 和傘 朱夏







入り口の暖簾です。
この道路は江戸時代からのもので、福沢諭吉も通ったでしょう。
道路奥 左側 立て看板のある部分が福沢記念館入り口。
その手前の門が福沢旧居。
ただ 大阪から帰って最初に住んだ福沢家は右側になる。



上の道路を反対側(逆方向)から見たところ。

撮影時期が違いますので、暖簾は写っていません。



大阪から帰って最初に住んだ福沢家の住居跡。
諭吉が勉強部屋にした土蔵のある旧居は道路を挟んで反対側。
移転先




工房の横は蛭子川です。
中津駅から海側に500mくらい歩いて、小さな橋を渡ったところになります。

後方の建物はショッピングセンター「ゆめタウン」です。
元々 この川は中津城の外堀の役割をしていました。 
その為 明治時代には蓮田だったようで、埋め立てて富士紡の中津工場ができ、
その跡地にショッピングセンターができました。
川の手前(工房)側が城下町内になります。

大江医家資料館もすぐ近くです。




福沢旧居の隣時代の作業場。



平成20年4月7日撮影。
作業場が一段と広くなりました。


平成20年4月7日撮影。
上の写真とは別の作業場。


これはお祭りの「傘鉾」用のものです。
段々手を広げて 修理も引き受けているようです。
平成20年4月7日撮影。


向野こうじ屋 (手造りみそ・こうじ加工・製造・販売)



商品のパンフレット。


毎日新聞より

中津和傘:注文殺到、手狭な工房を拡大移転 JR中津駅近くに 

 伝統の中津和傘を復活させた中津市の市民グループ「朱夏の会」(今吉次郎代表)が受注増に応えるため、福沢諭吉の旧居隣り(同市留守居町)からJR中津駅に近い同市鷹匠町の平屋の広い工房に転居した。

 番傘や蛇の目傘は1本作るのに約50日かかる。注文は全国から毎月約30件あり、追いつかないのが現状。そのため05年の発足時2人だった職人も6人になった。前の工房は作業場が狭く天日干しのスペースがほとんどなかったが、今の工房は2部屋あり、倍の広さ。倉庫のほか、傘を干す広い庭もある。

 今吉代表は「大きなショッピングセンターも近いので大傘を庭に飾って大いにPRしたい」と張り切っている。

 発足以来の職人・大江正範さん(64)は「愛知県の製鉄会社を定年退職してこの世界に入りましたが、手作りの良さが段々分かりました」と話した。赤・白・紫の3種類の番傘は1万円▽蛇の目傘1万5000円。問い合わせは同会(0979・23・1820)へ。【大漉実知朗】

毎日新聞 2007年10月11日


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中津南高

中津北高

扇城高校


2005年7月25日
2005年7月28日
2006年8月1日
2008年2月7日 黒瀬さんから移転先の写真をいただきましたので追加。

2008年4月12日写真追加。

2009年7月15日:移転



 2009年7月15日よりカウント