○大分県下 商家案内記・[旧扇城 公園地の景](明治19年発行)





説明追加予定


<鳥居の位置>
以下の五箇所に描かれている 建設された時期
案内記にある鳥居の位置 神社 鳥居
鳥居@ 三ノ丁角・公園地正面の路上 明治14年〜明治19年
鳥居A 中津神社正面・公園地下段中央 明治16年 明治16年〜明治19年
鳥居B 鳥居@の正面・公園地上段の上り口 明治14年〜明治19年
鳥居C 大神宮社殿正面・社殿の囲入り口 明治14年 明治14年〜明治19年
鳥居D 金毘羅宮正面・階段下 明治17年 明治17年〜明治19年
この鳥居が現在どうなっているか。
<現在の鳥居の位置>
現在の鳥居の位置 建設された時期
@大鳥居 公園地入口・石垣沿い 昭和7年1月
A椎木門跡 椎木門の跡(最初は神社正面・下段中央) 明治22年4月
B薬研堀階段上 薬研堀階段上(最初からこの位置か?) 明治42年5月
C金毘羅宮階段上 金毘羅宮階段上(最初は階段に下) 明治17年2月
鳥居移設の時期・不詳
<その他の資料>
位置 建設された時期
中津城 明治10年炎上
城井神社 小笠原時代に城内に建設・現在は別 元禄15年(1702)
奥平神社 不詳 不詳
三斎池 公園地下段・東側 細川時代か
独立自尊の碑 最初は公園地下段中央に建設・横に鳥居 明治37年7月
最初は下の架台なし柵の鎖と石のみ
昭和7年に三斎池南隣の築山の位置に 昭和7年に移設
移設、下に一段架台増設
同時に中津神社鳥居を椎木門跡に移設
同時期に公園地入り口に大鳥居を建設
蓬莱観 公園地入り口手前・お堀横 明治15年(1882)
強制疎開で解体・現在は跡地を喫茶・画廊 昭和20年

旧扇城・公園地の景 (明治4年中津城・廃城)(中津県)(明治10年中津城炎上) 大分県下・商家案内記(明治19年発行)

中津城 城井神社 奥平神社 三斎池 中津大神宮 大神宮拝殿 鳥居・C 鳥居・B 蓬莱観 郷社・中津神社 鳥居・@ 鳥居・A 椎木門の鳥居 金毘羅宮 金毘羅宮上鳥居 鳥居・D 独立自尊の碑・移設前 独立自尊の碑・移設後 大鳥居 薬研堀・上の鳥居 三斎池・南の築山
位置 江戸時代は現在の位置とは違うようだ 江戸時代・位置不詳 江戸時代 公園地上段・神宮教豊前教会所として 中津大神宮となる 大神宮正面の鳥居 上段上り口に建設 公園地入り口手前(左手お堀横) 公園地の下段西側に東向き 三ノ丁角 下段中津神社正面 神社の正面、下段中央に建設 鳥居建設と同時期か 金毘羅宮階段上 金毘羅宮階段下正面 公園地・下段中央・鳥居Aの北側 三斎池南に移設・下に一段架台を追加 公園地・入り口 薬研堀・上部 明治10年以降から昭和7年までは築山
建設日時 江戸時代 小笠原時代・元禄15年(1702) 時期不詳 細川時代 明治14年(1881) 明治21年(1888) 明治14年〜19年 明治14年〜19年 明治15年(1882) 明治16年(1883) 明治14年〜19年 明治16年〜19年 明治22年4月・昭和7年椎木門の現地に移設 鳥居は明治17年 明治17年2月 明治17年〜19年 明治37年7月8日(1904) 昭和7年に三斎池横に移設 昭和7年1月 明治42年5月 昭和7年・独立自尊の碑を移設
明治10年 炎上
明治11年
明治12年
明治13年
明治14年 神宮教 鳥居C 鳥居B 鳥居@
明治15年 蓬莱観
明治16年 中津神社 鳥居A
明治17年 金毘羅宮 鳥居 鳥居D
明治18年 D=同じ
明治19年 なし 現在の位置にない 有り 有り 拝殿なし 現在なし 現在なし 有り 有り 現在なし 現在なし なし 有り 有り なし なし なし 本・発行
明治20年
明治21年 大神宮
明治22年 鳥居
明治23年
明治24年
明治25年
明治26年
明治27年
明治28年
明治29年
明治30年
明治31年
明治32年
明治33年
明治34年
明治35年
明治36年
明治37年 独立自尊
明治38年
明治39年
明治40年
明治41年
明治42年 鳥居建設
明治43年
大正
昭和7年 移設 移設・架台追加 鳥居建設

明治37年建設時 昭和7年移設(平成13年撮影)


このページは江藤哲也さん、加来和彦さん、中尾 譲さんの3人で原稿を作っていただきました。
現在工事中につき見難い部分はご容赦ください。
 

2005年8月29日


瑞泉寺

石垣

2009年7月15日 移転


 2009年7月15日よりカウント