場所は中津市民球場の近くです。
原っぱの所はすでに調査の終わった所だそうです。
ブルーシートの所は現在 調査中です。
風でシートがめくれて少し見えました。
火災があったらしい 炭化米が大量に出土したそうです。
沖代平野(中津平野)の条里制の遺構もご覧ください。
以下は中津市のホームページからの紹介です。
7世紀後半以降、古代律令国家は国の役所(国衙)、郡の役所(郡衙)をおきました。
中津市は豊前国下毛郡に属していました。
当時の役所はその機能によって、大きく4つの施設(郡庁・正倉・館・厨家)にわかれます。
郡庁は、役人が政務をおこなう中心の場所です。正倉は税金として集めた米などを収蔵する蔵です。
長者屋敷遺跡は、奈良時代〜平安時代にかけての遺跡で、下毛郡の正倉と推定されています。
遺跡からは11棟の大型の掘立て柱建物郡と、それを囲む溝や柵列が発見されました。
また、大量の炭化米が出土しており、米倉が火災にあったことを物語っています。
2009年5月7日
このページは黒瀬さんからの写真と情報を元に作りました。