中津市のホームページから 『桧原マツ』とは津民地区檜原山正平寺(ひばるさんしょうへいじ)で行われる神仏習合の御田植祭である。 この寺は、檜原山(標高735m)の中腹にあり、英彦山六峰の一つとして開かれた寺で、 天平勝宝4年(752年)国司中納言行房卿の上奏により勅願所と定められて以来、山を檜原山、寺を正平寺と称した。 平安時代から鎌倉時代、室町時代にかけて繁栄した山で、盛時36の坊中(寺)を有し、中津藩の祈願所として群民の崇敬厚い寺であったが、 明治維新の変革や明治年間再三の火災により一寺を残すのみとなった。 しかし、700年以上の伝統をもつ『桧原マツ』は、藩制時代寺領であったと言われる山麓の中畑、上ノ川内、福土の3集落の信者によって継承されてきた。 現在は4月の第2日曜日に行われているが、行事に先立って、中津の浜の潮水を汲んで、山頂の権現様に供えることから始まる。 当日はおくだり(仏興渡御)法要の後、昔の山伏になぞらえて僧兵、僧侶、神輿3体の行列が練り歩くお上りがあり、引き続いてまつやく(御田植式)が行われる。 御田植式は、水とめ、田うち、畦ぬり、くろぎり、しろかき、種蒔き等稲作の一連の所作が、古式豊かに観客とのやり取りの中で、ユーモアを交えて繰り広げられる。 中でも田うち、種蒔きでは独特の節回しの神歌が奏上される。 御田植式は英彦山六峰の修験の山々(英彦山(添田町)、求菩提山(豊前市)、松尾山(大平村))でも行われており、 それぞれの特徴を伝えているが、当山の素朴な行事は、御田植式の最も古い形をそのまま受け継いでいるものと研究家は高く評価している。 したがって、衣装や道具だてに、派手さは全く見られない白装束、あみ笠のいで立ちであるが、これは山の神々が農耕を司ると言うことを表現する一つの意味もあるのではなかろうか。 こうして山における五穀豊穣を祈る行事が終わると、山の神は里に下りて農耕を司り、春深まるにしたがって、近郷の農耕作業が始まる。 『桧原マツ』の「マツ」とは、まつりのつづまったものであると言われるが、明治の中頃まで「マツ柱御幣切行事」という重要な儀式が行われており、これにより「マツ」という説もある。 |
写真は平成21年4月の12日黒瀬さん撮影
神仏習合なので、鳥居があるのかも。
2009年4月13日