金谷の堤 プールが無い時代は山国川が水泳場だった。


「金谷のどて」での水泳教室?。
この写真は黒瀬さんから提供いただいたものです。
撮影時期は不明です。



「金谷のどて」での水泳教室?。
この写真は黒瀬さんから提供いただいたものです。
撮影時期は不明です。

向うに見えるのは日豊本線の鉄橋です。
当時は単線でした。

対岸は福岡県、下流側を見いて撮影したもの。




おぼ同じ位置から撮影した写真。
鉄橋も架け替えられています。
水泳場の面影は全くありません。
これも黒瀬さんの撮影です。



撮影場所は近いと思われるが、この写真は上流側を撮影したもの。
橋は山国大橋。

古い写真の撮影時は無かった。
この写真は17年7月の帰省時 自分が撮影。

なお昔 橋の少し上流の堤防上に水天宮がありました、大きな栴檀の木があり、
この下では渦を巻いているので溺れる、近寄るなと先輩に注意されたものです。

もっとも 堤防とは呼ばずに「かなやのどて」と呼んでいました。


 


水天宮
幼児の頃 堤には水天宮が祭られていました。
何時の間にか無くなっていました。
この画像は向野先輩のお兄さんが昭和16年に撮影したものだそうです。
長年行方を捜しているのですが、2012年3月に帰省した時 近所の方に聞き込みをしたら、大江八幡に遷座したとのこと。
その後大江八幡に確認しに出かけたが、神主さんが不在だそうで詳細は不明です。

水天宮はもともと久留米が本宮であり、水と子供を守護し、水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚いそうです。
水天宮の近くに栴檀の木があり、近寄ると溺れると教えられていたので、水難よけに祭られていたのでしょう。
東京の水天宮はもともとは久留米藩の屋敷地(港区の赤羽橋付近)に鎮座していたもの、明治時代に現在地に遷座。



水天宮の有った位置。
記憶ではこの付近と思われます。






子供の頃は鉄橋も格好の遊び場でした。
渡る途中に汽車が来て慌てたことがあります。
この当時は単線でした、現在では鉄橋もほんの少し上流側に複線で架け替えられています。
撮影時期は不明です、恐らく就職で上京する頃(昭和36年)のものでしょう。


左側のレンガ積みの部分が旧日豊線の鉄橋跡。
上流側に少し移動している。
平成13年に撮影。

 


2005年8月23日
2005年9月2日黒瀬さんから追加の写真を送っていただきました。

ご意見ご希望は城下町中津の掲示板にどうぞ

2009年7月15日 移転
2012年9月16日:239 水天宮を追加。







 2009年7月15日よりカウント