絵葉書で見る古い中津市(中津町)

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撮影時期は不明です。
この敷地に明治43年に新築 移転、当時は南部尋常小学校で、翌44年4月南部尋常高等小学校となる(南部100年史)。
正面玄関前の雰囲気以外は昭和20年頃と同じように感じる。
記憶が定かではないので、断定は出来ない。
20年当時 玄関前に南部陸上10連勝記念碑があった。
この記念碑は昭和10年に作られた。
なお南部100年史の大正3年の南部幼稚園卒業写真は
玄関前で撮影されているが、どうもこの写真と同じ建物らしい。
と言う事はこの写真は明治末から大正初めの撮影と推定される。
下毛郡立女学校の撮影時期と同じらしい。

なお広津商店は新博多町にあり、耶馬溪の絵葉書なども発行している。

昔の写真にこの広津商店が写っている、
場所は諸町通りの突き当たり近くに相当するらしい。
但し自分が物心付いた幼児のころ、ここには幼馴染が住んでいた。
少なくとも終戦時にはこの位置に広津商店は無かった。


明治44年 下毛郡立高等女学校として創立
大正3年に新校舎を建築、2ノ丁に移転しているので、恐らくこの当時の写真ではと思われる。
大正4年に大分県立中津高等女学校に名称変更。

南部小学校と同じ時期に撮影されたと思われる。




旧中津高女(現中津北高)の二ノ丁の校舎跡地です。
現在は公園になっています。




扇城女学校(現東九州龍谷高校) は1899(明治32)年三ノ丁で創立。
大正11年中殿町に移転。

この写真は三ノ丁時代のもの。
44年10月22日のスタンプあり。


場所はマンション「サーバス中津城内」かその東隣付近と思われます。


この写真を見ると子供の頃(昭和20年代前半)の3ノ丁の雰囲気を思い出します。

上記と同一場所近くと推定される現在の写真。
平成17年7月23日撮影。
提灯は祇園祭の為です、朝車の日。



中殿町に移転した扇城(現東九州龍谷高校)。

 

昭和5年頃の中津





こんぴら様。
昭和20年代後半も全く同じでしたね。
この下に中津城の鉄門があり、良く其処から川に下りてゆきました。
城南中学時代は昼休み必ずといっていいほどここまで来ていました。
しおまねきが沢山いました。

当時の城南中学は写真の後方(城の南方向)ですが、現在の城南中学は写真の後方(城の北)になります。
こんなわけで最近は名前も城北中学に変えました。

平成17年の金比羅様。
建物は建て替えられている。
鉄門は崩壊の恐れがあるということで何時からか埋め戻されてありません、寂しいです。

鉄門跡。


鉄門を出口側。
河川敷は小さな公園になっている(工事中の写真)。


金比羅様横から小祝方向を見る。



黒田家に謀略で殺された宇都宮の一族を祭る。
家来は寺町合元寺に祭られている。

こちらにも合元寺の写真が。

平成17年の城井神社。
70年以上ほぼ同じ風景で驚きます。
夏になると蝉の声が聞こえてくるようです。





左の灯篭によじ登って遊びました。
ぐらぐらしていた記憶があります、今考えると怖いです。







三斎の池。
幼児のころ幼馴染が池に落ち、ガラスの破片で怪我をした記憶が有ります。
昭和20年頃はこんな景色だったのか記憶が定かではありません。

中津 御水道の終点と言われています。
三口から水道を引いた、近代水道としては九州最古のものと思われます(1622年)。

池の向こうには独立自尊の碑が有りません。
小高い部分がありますので、この上に移設し、周りを囲ったのかも知れません。
元の碑に比べ 現在のものは最下段が増設された形になっています。
この写真は昭和5年のものです。
加来さんの調べでは昭和7年10月18日に現在地に移転したそうです。


現在の三斎の池。
池の向こうは独立自尊の碑です。


忠魂碑は昭和4年頃建設されたそうだ。

中央は西南戦争中津隊の碑。公園地上段中央にあります。

この当時の独立自尊の碑は公園地の中央にあったそうだ。



この当時鳥居は公園地の中央にあった。
この鳥居は二ノ丁からの入り口に写されているのを黒瀬さんが発見。
写真の後方に100mくらい移動。



上の鳥居はこちらに移転していた。

現在の大鳥居
三ノ丁側の入り口にあります。
前方左側鳥居の陰に南部小学校の校舎が見えます。
左側は発掘調査中の元城南中学跡、江戸時代はこの道はありません。
この部分は本丸の石垣が有った部分です。




本丸の石垣の上に見当たらないので、捜してみたら
忠魂碑がこんなところに移転していました。

旧中津北高の跡(二ノ丁の公園)。


独立自尊の碑を建てる前の敷地部分だそうです。
建設時のものか、移転時の敷地なのかは不明です。

ただ写真から見て、移転された現在の独立自尊の碑の場所にほぼ間違いないと推定されます。
写真右側に見えるの中津城の椎木?門。


独立自尊の碑は移設時 最下段が増設され、1段と高くなっている。
城南中学時代はこの上によじ登って遊びました。
もっとも転落した事もあります。



17年7月中津祇園に帰省した時 この様な絵図を見つけてきました。
大分県の商家の店構えの案内図の1部です。
明治の中頃から初めに近いと思いますが、時期不明です。

これを見ると
@独立自尊の碑はない。
A蓬莱観はある。
B内堀がある。
C南部小の角に位置する部分に鳥居がある。
 本丸上段にも鳥居があり、現在位置と異なる。
D汐湯がない。
E中津警察署と思われる建物あり。

 

お礼
古い写真(絵葉書も)は加 来 和 彦様より、最近の写真は黒瀬 戦一様より提供いただきました。

2005年7月4日
2005年7月5日
2005年7月14日
2005年7月18日
2005年7月27日
2006年5月24日鉄門の写真を追加。



中津の古い地図





 2009年7月14日よりカウント